97年から書き続けたweb日記を、このたびブログに移行。
「トランセンデンス」を観た
グアムからの帰国便にはエコノミーでもパーソナル・ビデオがついており、選択できる映画の数も多い。この点はUnitedよりもずっと優れている。

見たのはジョニー・デップ主演のSF「トランセンデンス」。

相手役は最初、スカーレット・ヨハンソンだと思っていたが、レベッカ・ホールという女優さんなんだそうで。よく似てるなあ。モーガン・フリーマンも出演してるがあまり印象には残らない。「いつもの調子でいいんだね」とやってきて、台本通り淡々と演技して、どのシーンも撮り直しなく一発OKで、ギャラ貰って帰っていったという印象(笑)

コンピュータに人間の人格をアップロードして生まれた超意識が世界を支配しようとする。導入部分はそれなりに緊迫して面白い。死んだウィルの自我をコピーしたAIが、証券市場へのアクセスについて言及した途端、仲間の科学者は、「目覚めてたった15分でウォール街へのアクセスを探すのはウィルではない。これは怪物だ」とシステムを遮断しようとする。この辺りまでは面白い。しかしその後で物語が失速してゆくのは、この映画のストーリー自体が、使い古された古いアイデアで、そこから一歩も出ていないから。

人間の人格をコンピュータに移植したり、AIがネットで全世界を覆う超意識となるという世界を描いた、ギブソンの「ニューロマンサー」の初版が1984年。しかしその時点でも先行する同じアイデアのSFが多々あり、設定は決して新しくはなかった。ビジュアルに広がる奇怪な電脳空間や、そこにジャックインする主人公などのギミックを描きこんだギブソンのイマジネーションが、それまでになかった独特の世界観を作り上げたのが成功した要因。コンピュータが世界を支配するというプロットだけなら、「ターミネーター」だってそうだった。

この映画も結局のところ古いアイデアを使っただけで、新しいブレイクスルーなくアレレという間に終わった印象。観客としては、AIがネットで世界を覆う超意識となってからの先を見たい気がするのだが。あまりにも形而上学的になってうけないのか。小さなスクリーンなので明確ではないが、画像は大変美しかったのでは。ただやっぱり脚本がねえ。映画館で見なくてよかった(笑)

その点では、時間がなく途中をシャカシャカ飛ばして見た「ロボコップ」のプロットのほうが新しい。アイドロイドに閉じ込められた人間の自我の葛藤を描くのは例えば平井和正の「サイボーグ・ブルース」と同じだが、アンドロイドに搭載されたコンピュータの戦闘プログラムと人間の自由意志との葛藤、人間の自我とは何かという問題に踏み込んでおり、実にダークな雰囲気に仕上がっていた。最近のリブート作は、前シリーズよりも沈鬱で暗い雰囲気になるのが多いなあ。

「ゴジラ GODZILLA 2014」を観た
土曜日は、公開されたばかりの「GODZILLA ゴジラ[2014]」
を観た。3Dでの上映を選択。



核実験時代の報道フィルムがコラージュされた導入部分はなかなか印象的。ゴジラの背びれは後で合成しているのだが。

ハリウッドSF作品の設定や考証は「オイオイ」というような所が多いものだが、この「ゴジラ」はツッコミどころが極端に多い気がする。ストーリーもご都合主義で、原子力災害や津波の扱いもハリウッドならではのデリカシーのない粗忽なもの。細かいところに目くじら立てると内容は滅茶苦茶だ。

日本の原発の場面なのに地名が日本語と思えないとか、1999年の日本のプラントでアメリカ人が威張って勤務してるはずないだろとか、ホノルル空港にはモノレール無いぞとか、地球上何処でもガイガーカウンターがゼロを示すはずないだろとか、マスクを脱いでプハーっと呼吸して「ここはクリーンだ」ってあんた放射能に匂いなんかありませんよとか、なんでゴジラが来たら引き波を伴った津波が起こるんだとか、放射能を怪獣が食べるとか、まあ次から次へと山盛りに疑問が。

原発事故や津波については、もちろん東日本大震災が一部投影されているるのだが、ハリウッドの脚本家の持っている放射能や地震に関する知識レベルというのは、所詮あんな程度なのだよなあ。まあ昔の東宝映画だってひどかったが。

しかし細かいところを無視すると、映画全体はあれよあれよとテンポよく進み、ゴジラそのものは、実に異様な迫力を持って成立している。あまり姿を見せ過ぎないところも逆によかった。ゴジラの咆哮も若干違うと言えば違うが、実に迫力あり。

ハリウッド制作の「ゴジラ」というと先行するローランド・エメリッヒ監督のトカゲ・ゴジラがあるが、あれよりもずっと今回の造形のほうが日本オリジナルに近い。CGなのにまるで着ぐるみが石膏のミニチュア・ビルを壊すような日本独特の特撮効果の質感がしっかりと反映されている。

近年、「クローバーフィールド/HAKAISHA 」やら「パシフィック・リム」やら、日本の怪獣物の影響を受けたSF作品がハリウッドで制作されているが、本作も日本のゴジラをかなり研究して造形したのだろうと思える出来。

サンフランシスコは、ゴールデン・ゲイト・ブリッジがあるから怪獣が暴れるにはビジュアル的に良い。どうせなら、フィッシャーマンズ・ワーフに上陸して、ロンバード・ストリートの家々を踏みつぶしながら、コイト・タワーも壊してほしかったなあ(笑)。怪獣映画は壊すランドマークにも重要な意味があるので大事にしないといけないのだが、その辺りには多分アメリカ制作陣は気づいてなかったのでは(笑)

渡辺謙は、せっかく出演しているのだが、あんまり活躍しない。どのシーンでも、ただ眼をむいているだけのような印象。これは脚本がそうなっている訳で、本人的にはあれ以上頑張りようはなかったとは思うけれども。

まあ「ゴジラ」はもともと荒唐無稽なものなので、気楽に観るには面白い。歌舞伎なら「暫」の荒事をやんやと喝采して観るようなものか。ただ、日本では幻になった第一作(TV放映権込みでアメリカに売ってしまったから日本のTVでは放映されないらしいが)にあった核批判のトーンはさすがにほとんどこの映画には無い。なにしろ作ったのがアメリカだからね(笑) 最後は、明らかに次回作があることを予感させる終わり方だ。


ホドロフスキーとデヴィッド・リンチの「DUNE 砂の惑星」
「ホドロフスキーのDUNE」は、奇作『エル・トポ』で有名なアレハンドロ・ホドロフスキー監督が企画するも製作中止となった「DUNE 砂の惑星」についてのドキュメンタリー。



本人や関係者の証言・資料を交えて背景を語るというこの未完の映画は、数々の絵コンテやキャラクタのデザインなど、現在に残る部分的な断片だけでも素晴らしい出来で、後世のSF映画にも多大な影響を与えたのだという。

観たかったが、残念ながら公開館が少なく、有楽町に行こうと思ってたら既に公開終了。渋谷まで出向くのは面倒だしなあ。DVD出るだろうか。

しかし考えてみると、「DUNE 砂の惑星」はデヴィッド・リンチ監督で後に映画化されている。公開時には映画館で観たし、DVDも持ってたはずと探すも出てこない。昔の映画だしVHSで所有していて買い直して無いのかもしれない。こんな時はすぐAmazon(笑) 「デューン 砂の惑星【HDリマスター版】 [DVD]」を発注。先日届いたのでこの週末にチェック。懐かしいなあ。



興行的には大失敗に終り、デヴィッド・リンチにはやはりSFの監督は無理という評判が定着してしまったが、スティングやハルコネン男爵など、変わった人物を描かせたら無敵のリンチらしさは随所に出ており、実に奇妙な陰影を映画に与えている。

主人公の心情が、ヴォイス・オーバーで常に語られるという、実に変わった叙述方式も妙な味が。映画最初に大写しで出てきて前振りをするのは宇宙皇帝の娘なのだが、この人は本編では最後の場面まで出てこず、しかも台詞無し。なんでこの人が最初に出てくるのかというのも実に奇妙な雰囲気。

絵的には、砂漠の描写とサンドワーム等もなかなか面白い。TOTOが音楽担当しているのだが、これも印象的。後にスタートレックの船長になるハゲのおじさんも出演しているのを発見。これまた懐かしい。「ブレードランナー」で印象的なレプリカント、レイチェルを演じたショーン・ヤングは、本作にも出演しているのだがこの頃は本当に美しい。ただこの人はこの後情緒不安定で奇行が続くようになり、アルコール中毒や薬物中毒の治療も受けて、スターダムから姿を消した。ハリウッドで生き延びるということは、鋼鉄の意志を必要とするような難しいことなのだろう。

まあ興行的には失敗したとはいえ、見直すとなかなか面白い映画だった。

映画は一人でコツコツ製作できる芸術とは違い、大勢の人間が関わるプロジェクトとしての一種工業製品であるから、完成してナンボ。製品化できなかった世界一のコンピュータや、車というものは最初から存在しなかったのだ。興行としては失敗したとはいえ、この世界で語られるべき「DUNE」はやはり、ホドロフスキーの「未完の名作」ではなく、リンチの「DUNE 砂の惑星」しかないとも思うのだった。

「ダイバージェント」を観た
「ダイバージェント」を観た。



公開直後だが、シネコンでは最初から小さな箱で、興行収入に対する期待の小ささを印象付ける(笑)

近未来、世界大戦後の荒れ果てたシカゴ。人々は特性に応じて5つのFaction(党派)と呼ばれるクラスに分類された管理社会に生きている。半分廃墟と化したシカゴの映像がなかなか良くできている。

少年少女はただ一度のテストを受け、何の特性があるかを分類され、そして自らの決断でどこに所属するかを選ぶ。テストでどこにも属さない「Divergent(異端)」とされた主人公の少女「トリス」の苦悩と成長を描くアクションSF。

主人公のベアトリス・”トリス”・プライアーを演じるのはシャイリーン・ウッドリー。TVシリーズに出演して人気上昇中らしいが、アーモンド形の眼に力があって実に印象的。泣く演技の時はこの美しい眼にみるみる涙が溜まってきて、これはちょっとした見もの(笑)最初から最後までほとんど出ずっぱりで、彼女のための映画といってもよいかもしれない。

分類を決めるテストの場面で出てくる鏡の部屋のシークェンスは実に複雑かつ美しく仕上がって印象的。訓練の際に出てくる悪夢の場面も、どれもインパクトあり美しく仕上がっている。後半のストーリーには、若干場当たり的なものもあるが、映画の展開には2時間20分の長尺を飽きずに引っ張る力あり。

映画原作は若者向けノベル。社会のどこかに属する事を周りから強要され、果たして社会のどこに居場所を見出せるせばよいのかというのは、若者なら誰でも感じたことのある不安や焦燥。超大作ではないが、若者の不安やそれを超克する成長譚を巧くストーリーに反映したジュブナイルSF映画に仕上がっている。

余談ながら、あのケイト・ウィンスレットが、SF映画で悪役演じているという事には、なんだか妙な感慨があったなあ(笑)

「オール・ユー・ニード・イズ・キル」を観た
「オール・ユー・ニード・イズ・キル」を3D上映で観た。トム・クルーズ主演のSci-Fiアクション。



文法的にいうと最後は「Killing」なのでは。Nativeがつけた題名なら奇妙だなあと思っていたが、サイトを見るとこれは原作となった日本人著者のライト・ノベルの日本語題名。英語での題名は「Edge of Tomorrow」に変更されている。

異星人侵略との戦いが続いている未来の地球。攻撃最前線への取材命令を断った広報担当将校ケイジ(トム・クルーズ)は懲罰を受け二等兵として実戦部隊に配置される。しかし戦場で死んだ彼が目を覚ましたのは、出撃の前日、部隊に配属される直前。そして彼は前回の記憶を保ったまま、また戦場に出てゆくことになる。

まるでリセットを繰り返すビデオ・ゲームのように、タイム・ループの中で生死を繰り返すケイジは、やがて彼と同様の過去の記憶を持つヒロイン、リタ(エミリー・ブラント)と出会い、生き延びる再生のシナリオ探索を始める。

繰り返し部分は最小限に抑えられ、各エピソードはテンポよく疾走感あり。現実からの出口を探し複数のシナリオが次々に枝分かれして行くパラレル・ワールド。コーヒーに入れる砂糖や次に発する台詞で既に体験した場面かどうかを主人公達も確認し、観客にも分からせる洒落た演出。枝葉に挿入された印象的なエピソードの数々。ヒロインの死をどうしても避ける事ができない流れに見切りをつけ、他のシナリオを選択し、一人で敵地に乗り込む事を決意する主人公など、ストーリーの細部に奇妙な現実感があってよくできている。自分を殺すという「リセット」を利用して、タイム・ループを繰り返し、解決に少しずつ近づいて行くというゲーム感覚が、いかにも日本発の原作という気がする。

トム・クルーズの映画は、なぜか相手役のヒロインがいつも美人だが、本作のエミリー・ブラントも実に印象的。兵士が身にまとうパワード・スーツは実際にはパワーなどなく、単に重たいだけで、装着した人間が動かさねばならなかったらしいから、演技は大変だったろう。

欧州に来襲した異星人がフランス全土を制圧してイギリスに迫り、世界防衛軍がフランスに逆侵攻するという映画の状況は、まさにWWIIのノルマンディ上陸だが、実際にこの映画は第二次大戦の「D-Day」70周年記念日である6月6日に米国で公開されたのだとIMDb に。

上映は3Dを選択したが、まあ、2Dでもよかったかもしれない。深くプロットを考えるとパラドックスがあると思うが、まあそんなことをあれこれ細かく詮索する映画ではなく、軽い気持ちで楽しめば十分。ラストもカタルシスを持って印象的に成立している。もう賽の河原のようなタイム・ループを繰り返す必要が永久に無くなったのだ。


「ノア 約束の舟」と「バベルの謎」
「ノア 約束の舟」を観た。観客は少なかったなあ。興行大丈夫か(笑)



原案は勿論、旧約聖書創世記第六章にある「ノアの箱舟」の物語。まず物語の冒頭、創世記のそれまでの章を幾つかのイメージ・ショットで振り返る部分は実に鮮やか。天地創造、アダムとイブ、蛇の誘惑、エデンからの追放、カインとアベルの物語。。もちろんある程度旧約聖書の知識が無いと何のこっちゃ分からないだろうが、欧米の観客には基本的に全て見慣れたイメージ。

「ノアの箱舟」は実に有名な物語ではあるが、この映画では、ドラマの緊迫度を盛り上げるために、旧約聖書とは違う若干の設定変更を加えている。「the Watcher」という存在は、「ケルビム」、「堕天使」のイメージが反映されているものと思われるが、勿論「創世記」の記述には無い。しかしこれがいないと、あんな馬鹿でかい箱舟をどうやって作ったかが観客に納得してもらえないのだった(笑)。トバル・カインの軍勢が箱舟を襲う場面も映画の独創。この場面での主人公ノアの行動は、「主人公が愚かな行動取って観客のハラハラドキドキを盛り上げる」という古典的手法に拠っているのだが、間延びしてあんまり成功しているとは言い難い。サッサと箱舟に入ったらよかったのに(笑)

そして実に目立たないが一番の改変は「人間を滅ぼそうとする神の意志」がどこまで及ぶのかというところ。旧約「創世記」では、神はあらかじめノアの家族を助けるために箱舟に乗せたのであり、息子のセム、ハム、ヤペテにはそれぞれ既に妻がおり箱舟にも乗り込む。しかし映画では、これとはまったく違う「神の意志」が暗示され、愚直にその命令を守ろうとするノアとその家族との葛藤に結びついて行くのだ。

アメリカには、聖書に書いたことは一語一句そのままに真実であると信じる「キリスト教原理主義者」が大勢いるのだが、問題なかったのかねえ。もちろん最後には「神の真の意志はこうであった」という一応の解決が用意されているのではあるが。

洪水の後、ノアのぶどう酒による裸体の酩酊とハムの息子カナンへの呪いという物語が旧約聖書にある。なにやら異様な事態が背景に窺えるエピソードなのだが、いったい何を語っているのか分からない。映画はこの部分は割と素直に取り入れているのだが、観客はちょっと混乱するだろう。まあ、そもそも聖書研究者でも意見が分かれている箇所なんだし。

映画としては、なかなか壮大で、旧約の不思議な物語を体感できる興味深いもの。しかしある程度旧約聖書の知識が無いと理解に苦しむ部分はあるだろう。エマ・ワトソンとジェニファー・コネリーは実に印象的な演技。ラッセル・クロウはまあ何時ものラッセル・クロウだ(笑)

事前に「創世記」該当部分だけは読み返して行ったのだが、帰宅後に本棚から、「バベルの謎―ヤハウィストの冒険」を引っ張り出して再読。

過去ログで感想も書いたが、旧約のモーセ五書には、J文書とP文書という作者の違った文書が混在しているのは聖書研究によって知られている。

著者は「ヤハウィスト」が書いたJ文書だけを丹念に分析し、聖書古層に浮かびあがる「ヤハウィスト」の意図を読み解く。そこに描かれるのは、極めて親密な「人間創造」物語。「人間」に対する神の素朴な慈しみ、そして、結局のところ「できそこない」の被造物であった「人間」に対する神の絶望、そして、神自身による神自身の絶望の超克といった、きわめてドラマティックで生き生きとした「神」と「人間」。創世記の物語にメソポタミア神話「ギルガメシュ叙事詩」が与えた影響とその比較部分も実に興味深い。この本は、やはり何度読み返しても実に面白いなあ。


「ネイチャー(Enchanted Kingdom)」を観た。


『ネイチャー』を3D版で観た。撮影については、3Dカメラでアフリカの大自然をよくここまで美しく撮ったなと感心。ヴィクトリア瀑布を上から撮影した画像は素晴らしい。池を埋め尽くすフラミンゴの群れ、ゴリラや象にも実に近くまで寄って綺麗な画像を撮影しており大画面で深みのある3Dで観ると実に面白い。エンドロールが終わった後に4分ちょっとのメイキング画像が流れるのだが、特殊な機材を開発し、大量のスタッフを投入して過酷な自然の撮影を可能にしたのだとか。

ただアフリカの大自然の映像というのはTV番組でも世の中に溢れているので、素材そのものとして目を見張る衝撃的なものが多々あるかというと、若干疑問なところ。

気になったのは映画の構成と編集がどうも散漫なこと。オフィシャル・サイトにある「水こそ生命の源」というテーマは、日本語ナレーションの最後でとってつけたように触れられるだけ。そういえば映画館では「3D」「2D」は選べるが普通の洋画ならある「字幕」「吹き替え」の区別がない。日本語の吹き替えナレーション版しか公開してないのではないかな。

そしてこのナレーションの内容がまたショボい。イマイチ取り得が無いというか、素人じみているというか、どれもどこかで聞いたようなフレーズの羅列で、まるで高校の文藝部の人が書いたポエムの如し(笑)

原題は「Enchanted Kingdom」とあるが、iMDBで調べても英文サイトには大した内容が出てこない。iMDBにリンクのあるオフィシャルサイトは日本のもの。欧米では公開されてないのでは。本当にBBC製作の映画を買い付けてきたのかね。大仰なプロモも不審なところ。英文のオリジナル・ナレーションがあの程度とは到底思えない。欧米のプロの仕事なら、日本語に翻訳したとしても、独特のしゃれた表現が明らかに残ると思うのだが。あるいは翻訳がまずかっただけとか。映像は実に綺麗だったが、ところどころ実に不思議なドキュメンタリーだ。




「悪の法則」 ブルーレイを観た
劇場で「悪の法則」を観たのは去年の12月。実によかったので、Amazonにブルーレイを予約発注していたら発売日に届いた。

今週末に早速鑑賞。「悪の法則 21分拡大版本編ディスク付豪華2枚組」と称して、21分のシーンを追加したエクステンデッド・バージョンを収録したもの。

映画は過去日記の感想にも書いた通り、麻薬カルテルの虚無的な闇によって破滅してゆく弁護士を描いたクライム・ホラーだが実に面白い。主人公のマイケル・ファスベンダー、ハビエル・バルデム、キャメロン・ディアス、ペネロペ・クル-ズ、ブラッド・ピットなどキャストも実に豪華で芸達者。全てのシーンに既に不吉な予感が基調低音のように低く響き渡り、画面のテンションは実に高い。全ての登場人物は、主人公に警告を与えるかのよう。しかしそれは何の助けにもならない。予定調和のように陥った陥穽の深く暗い不条理。

ブルーレイでも劇場で観た時の戦慄を追体験した。

そして更に面白かったのが特典映像。エクステンデッド・バージョンに更に撮影シーンなどを追加して、リドリー・スコット監督がコメンタリーを入れたメイキング。これが3時間20分。エクステンデッド・バージョンの後で続けてこちらを観たので、6時間近くTVの前に居たのだが、まったく見飽きない。このメイキングも実に興味深かった。

一番驚いたのが、南カリフォルニアとメキシコを舞台にしたこの映画のほとんどがロンドンとスペインで撮影されたと言うこと。英国は映画制作費に対する税額控除が20%認められており、その分を制作費に回すことができる。そしてロンドンからの移動を極力少なくして安く製作できる舞台としてスペインを選んだのだとか。

映画の舞台は、ニューメキシコ、テキサス、ボイジー、アムステルダム、メキシコと点々とするのだが、実際の撮影は屋内は英国、屋外はスペインで。メキシコ人役の俳優も大半がスペインで現地調達。確かに元々の宗主国で言葉もスパニッシュであるから違和感が無い。制作費は3000万ドル(約30億円)だが、豪華キャストを考えると実に安く製作されている。俳優のスケジュール調整も巧みで、ブラッド・ピットは1週間で撮影上がりだったという。

国境の検問所にはスペイン軍の基地を使い、ドライブの場面も合成。デジタル撮影の強みも徹底的に活かしている。それにしても、スペインの野外でアメリカ南部やらメキシコを思わせる舞台がよくあったもんだなあと感心。

リドリー・スコットのコスト感覚は徹底しており、ロケで映りこんだアメリカ風ではない看板も、気付かれない程度であれば、余計な映像修正の手間はかけるなとスタッフに命じていたのだとか。黒澤明などは小道具や大道具も細部に拘りぬいて本物を使ったというが、リドリー・スコットは、コストも管理するビジネスマン・タイプの映画監督なのであった。

メイキングでもうひとつ印象的だったのが、キャメロン・ディアスの本性が投影された動物でもあるチーター。重要な場面に何度も登場するが、飼育係によると、犬には命令できるがチーターには命令できない。何度もお願いして気が向いたら時々やってくれるのだそうである(笑)。独立心の強い野生が残っており、2匹同じ場にいるように見えるのは合成。野外で馬の横を走るシーンも合成。実際に野外で馬と走らせると、馬に襲い掛かるので撮影が不可能なのだという。撮影は大変な苦労だったろう。

余談ながら、最近のカロリーメイトのCMでもチーターが出て 満島ひかりと共演していた。合成ではなく実際に本物と撮影したのだとか。これも凄いね。





「キック・アス/ジャスティス・フォーエバー」を観た
「キック・アス/ジャスティス・フォーエバー」を劇場で見た。原題は「Kick-Ass 2」。



先日、深夜TVで放映された第一作「キック・アス」が、馬鹿馬鹿しくも面白かったので劇場へ。

正義を行うスーパーヒーローに憧れるアマチュアの市民達と、元警官の父親に殺人マシンとして育てられた少女が、復讐に燃える第一作の悪役の息子一味と戦うというもの。

呆気にとられるウルトラ・バイオレンス満載のアクション・コメディ。馬鹿馬鹿しくも面白い。下品で罰当たりな言葉満載で、とんでもないけれども笑える。Sick-Stickのシーケンスなど、真面目に見たら怒る人もいるかもしれないが、奇妙な魅力にあふれた一種カルト的なコメディ。

血しぶき挙げて平然と麻薬組織の悪人達を殺し続ける女主人公、「ヒット・ガール」に美少女のクロエ・グレース・モレッツを配したのがなかなか名案。神鳥忍を更に大型化したかのような、悪人チームの女戦士の怪物ぶりは凄かった。

正義の市民側のリーダーを演じたジム・キャリーは、映画のあまりの残酷さに呆れてプロモーションへの参加を拒否したというが、第一作見てオファー受けたのなら、最初から内容は分かっているはずなんだがと若干不思議。まあ、しかし、残酷シーンが嫌いな人にはあまりに突き抜けすぎたコメディで受け入れ難いだろう。アメリカ公開でもレイティングはR-15かな。

監督が変わり、第一作よりも若干パワーダウンした感があるものの、観客にカタルシスを与えるコメディとしてある意味きちんと成立している。ラスト・シーンは明らかに次回作を暗示するもの。「アマチュア・スーパー・ヒーロー」の「キック・アス」役、アーロン・テイラー=ジョンソンは厳しいトレーニングを積んだのか、前作よりも肉体が大幅にバルク・アップしており、このあたりが果たして第三作の設定に反映されるのだろうか。

「クラウド アトラス」ブルーレイ版
劇場で観て、過去ログで感想書いた「クラウド アトラス」のブルーレイを購入していたのだが、ずっとそのままになっていた。先週末にようやく再見。

歴史アドベンチャー、青春ドラマ、ポリティカル・スリラー、コメディー、近未来SFが2本という、都合6つの物語が同時並行的にパラレルワールドのように進行する。興味深いのは主要キャストを同じ俳優が演じていることで、あたかも歴史上の転生輪廻を繰り返す魂の成長譚のように見る事が可能。

トム・ハンクスは、昔の物語では悪人として登場するのだが、最後におかれた未来の物語では、自らの心中に潜むデーモンに打ち勝つ。複数の時代をまたぎながら、人々の運命は最初から最後まで、不思議な調和をもってつながっているのだが、物語のシャッフルが実に上手くできており、まるで楽器の音が次々と重なり合い、転調を繰り返して壮大なシンフォニーを作ってゆくが如し。

ブルーレイ特典映像での出演者や監督達の物語も実に興味深かった。有名俳優をブッキングして複数の物語を同時進行で撮影するから、スケジュール管理は実に大変だったろうなあ。

「エンダーのゲーム」を観た
「エンダーのゲーム」を観た。原作「Ender's Game」は1985年に出版。ヒューゴー賞・ネビュラ賞をダブル受賞したオースン・スコット・カードによるSFの名作なんだそうだが、未読。



昆虫型異星人による侵略をなんとか防衛した地球は、更なる襲撃に備え、更に来るべき恒星間戦争で異星人を殲滅しようとしている。地球防衛軍に指揮官候補としてリクルートされるのは、コンピュータ・ゲームによって3D認識やシミュレーションに習熟し、柔軟な発想と直感力に優れた子供達。

少年エンダー・ウィギンスは、ハリソン・フォード演じる教官に才能を見いだされ、苦悩の中で厳しい訓練を受けて成長してゆく。

軍隊の規律、リーダーシップ、昇進するたびに増える上官としての責任などを描くSF版の「2等兵物語」だが、その面ではハインラインの「宇宙の戦士」を思い出す。ただ、人類の戦争を終息させる能力と宿命を背負った少年の成長と苦悩は実に展開が早く、少年のままで次々と指揮官にまで昇格してラストまで。

天才性を見込まれ、悩みつつも育成プログラムの課題を次々クリアして昇進してゆく主人公、エンダーを演じるエイサ・バターフィールドは、サイコ感と新人類感にあふれた容貌で、なかなか好演。

少年少女ばかりの軍隊という想定なので、軍隊内の規律や古参兵によるいじめなどは本物の軍隊を戯画化して描いた感があるが、これはこれで面白い。訓練生時代の無重力状態での戦闘訓練は、映像も美しく背景もアクションもよくできている。

アメリカ映画で少年の主人公をいじめるのは、「憎々しげな大柄のデブ」というのはキャスティングの王道で、最初からそちらだけ目指している子役もいるのかもしれないが、この映画でも序盤は同じ。しかしエンダーが昇進した後、上官として現れるボンゾは、小柄で高圧的でヒステリックという、なかなか面白い人物造形。モイセス・アライアスという若い俳優だが、演技が達者で、歌舞伎でいうなら「赤っ面」として実に印象的に成立している。

映画は114分で、逆に急ぎ過ぎた感があるほどラストまで一気に疾走するのだが、指揮官になる卒業試験のシーンで大きなどんでん返しが。ハリソン・フォードやベン・キングズレーなどの大物が演ずる上官達が何故、まるで祈るが如き真剣さでエンダーの訓練に立ち会い、その成長や挫折に一喜一憂していたのかの謎が、最後に解き明かされる。あっという間の展開だが、実に大きなカタルシスあり。

そして「Ender」、「終わりをもたらすもの」は、新しい「始まり」へと彼自身の新しい旅に向かう。実に印象的なラスト。予備知識なく期待せずに観たが、実に面白かった。

原作は長らく絶版になってたようだが、このたび新訳が出た。「エンダーのゲーム〔新訳版〕」をAmazonで発注。

「ゼロ・グラビティ」を観た
「ゼロ・グラビティ」を観た。



スペースシャトルでハッブル望遠鏡を修理中のクルーが、ロシアの老朽衛星爆破による破片の襲来に見舞われ、シャトルは帰還不可能な損害を受け、2名以外の飛行士は全て死亡する。サンドラ・ブロック演じる科学者は、プロの宇宙飛行士でもないのに、この極限状態から果たして地球に帰還できるのか。

冒頭の宇宙空間の映像は実に素晴らしい。3Dで観たが、まさに大スクリーンで宇宙空間に自分が浮かんでいるが如く体験できる映像。

どんな危機にあっても、軽く笑いながら軽口叩いて沈着冷静なベテラン宇宙飛行士をジョージ・クルーニーが演じるのだが、この口調は、「ザ・ライト・スタッフ―七人の宇宙飛行士」に出てきた伝説のテスト・パイロット、チャック・イェーガーから、宇宙飛行士に代々受け継がれているという口調を思い出させるもの。

実質的なキャストは全編、ブロックとクルーニーの2人というずいぶんチャレンジングな映画作りだが、しかし結果として成功している。いったいこの後はどうなるのかと息を呑む、サスペンスに溢れた90分。

映画の冒頭で、「宇宙空間では音を伝えるものがない」と出てくるだけあって、音声の扱いは科学的に正確。空気の無い宇宙空間では音は伝わらない。飛行士間の無線通信の音以外は、宇宙空間の破片との衝突もまったく無音。主人公が宇宙船内の空気がある環境に入ると、船体を伝わった振動や爆発音がきちんと聞こえてくる。そして船体を切り離すと、切り離された本体の爆発音はまったく聞こえなくなる。エア・ロックが開き、船内の空気が無くなると音声が消失。そして扉が閉まり空気が再び戻ってくると音が再び聞こえてくる。なかなかキッチリ作ってあると感心。

宇宙船の中の無重力の描写も素晴らしい。シャトルの実写映像で見る通り。水滴も電気パネルがショートした火花もすべて空中を漂う。CGの進化には感心する。

しかし慣性モーメントの扱いについては若干疑問あり。地球周回軌道の自由落下状態を「無重力」とは言うけれども、別に質量がなくなる訳ではない。あんなにクルクルと勢いよく回っては、ぶつかって大怪我するのでは。エアロックのハッチも人間が掴んだ状態で、とんでもない勢いで開くが、あの加速度では取っ手をそのまま掴んで保持できる人間はいないだろう。

ジョージ・クルーニーが自分を結んでいるケーブルを自ら外すシーンも疑問。ブロックの足に絡みついたケーブルで一旦動きは止まっており、動きが止まった時点で最早宇宙船から遠ざかる加速度はゼロになっている。あそこでバックル外しても、クルーニーは遠ざからず同じ位置にいるのが正しい。ブロックがちょっと引っ張ってやれば、宇宙船に向かってゆっくり動き出すはずなのだ。

また、破片の衝突でちぎれたクレーン・レバーにバックルで縛り付けられたブロックが、バックル外すとあらぬ方向に飛んで行くが、レバーに縛り付けられて回っている状態ですでに同じレバーと同じ角運動量持ってるはずで、バックル外してもどこかに飛んでゆくのは解せない。空気の抵抗が凄まじいスカイダイビングと間違えているのでは。全体に宇宙空間での動きがドタバタして速過ぎて真実味がない。全てがスローに動く「2001」のほうがずっとリアルだった。

まあ、ともあれ、そんな微妙なアラはあるものの、隔絶された宇宙空間とそこから観る地球の美しさを体験することのできる素晴らしい映像。荒唐無稽なところもあるが、地球への帰還劇は、ずっと手に汗握り、言葉も無い圧巻。そして、生命が存在できない宇宙空間から、全ての生命を育んだ母なる美しい地球にたった一人帰還した、歓喜に満ちた最後のカタルシス。奇妙なテイストの映画ではあるが、劇場の大スクリーンで、しかも3Dで見るべき体験型映画。


伊丹十三漬けの一日
昨日の朝、特に予定もなく、本棚から、伊丹十三の「お葬式日記」を取り出して再読。監督デビュー作「お葬式」を製作する時の丹念な記録は実に興味深いもの。そんなところまでと驚嘆する細部までが全て考慮され、作りこまれているのだ。

本を読んでいるうちに映画のほうも再見したくなり、伊丹十三DVDコレクション ガンバルみんなBOXを取り出してきて、「お葬式」を。製作の過程を読んだ後で実物の映画を再見すると、「ああ、これがあのシーンだ」、「ここは最終的にかなりカットされたんだな」とあれこれ細部に発見があり、また面白い。1984年の映画だが、登場人物が、部屋でも子供の前でも、やたらに煙草吸うのには新鮮な驚きあり。あの頃はそんなものだったのかねえ。

なにしろDVDボックスなもので、「お葬式」見終わった後、今度は「タンポポ」。これもまた、精緻な脚本に、達者な役者が大勢脇を固めた、まさに「伊丹ワールド」。観終わった時には既に日もずいぶん傾いていた。伊丹十三漬けの一日だったなあ。




今年観た映画TOP10
今年観た映画は、あんまり本数はなかったのだが、割と印象に残るものが多かった。

過去ログから、個人的なTOP10を決定。たまの気晴らしに行く映画に、あまり「愛と感動」やら「芸術」は求めない。「センス・オブ・ワンダー」を求めるので、まあだいたいこんなラインアップになるというか(笑)。

「かぐや姫の物語」
「悪の法則」
「キャリー」
「マン・オブ・スティール」
「パシフィック・リム」
「ワールド・ウォーZ」
「風立ちぬ」
「エンド・オブ・ホワイトハウス」
「クラウド アトラス」
「ライフ・オブ・パイ/トラと漂流した227日」

今年は、この週末に後1本くらい観に行って今年の映画館通いは打ち止めということになるだろうか。以前観た映画のブルーレイも結構購入したのだが、結局観る時間無いままに放置しているもの多し。困ったもんである。


「かぐや姫の物語」
「かぐや姫の物語」を観た。



ハコは若干小さかったが、観客は結構入っている。子供連れは「ルパン対コナン」に大量に流れているようだが、この作品にも親子連れが結構いた。

映像は動く水彩画を見ているかのようで、実に美しく見飽きない。

そしてストーリーの骨格は「竹取物語」そのまま。確かに1000年以上も語り継がれた物語の根幹を観客が納得行くように変えるのは至難の業だろう。昔話として子供に見せても、正統派「竹取物語」としてきちんと成立している。

しかし、高畑勲監督は、誰もが知るこの物語に、様々な人間の感情やドラマを仔細に盛り込んでいる。そのひとつとして、監督がこの昔々の物語から掴み取り観客に呈示するのは、女性が女性として因習にまみれた人生を生きる事を強要される事の不条理。

竹から生まれ、野山で野生児の如く育った「たけのこ」は、ある日突然に、都に出て「姫」として生きる人生を強いられる。育ての親への恩義もあり、彼女は葛藤するも結局それを受け入れる。そして美貌が噂になった彼女は次々と求婚されることに。しかし殺到する求婚者が御簾の後ろに見ようとしていたのは、人間としての彼女ではなく、彼らの理想を投影した幻影に過ぎなかった。彼女は求婚を次々に断るが、「姫」となった彼女には、もはや郷里の里山に戻って自由奔放に生きて行く道はどこにも残されていないのだった。

高畑勲監督は、細かいエピソードを随所に挿入し、かぐや姫の苦悩と絶望を丹念に描いている。ただ、物語が語られるテンポがややスローで、ところどころ退屈を感じる部分あり。元々、波乱万丈の活劇ではないのだからある意味当然だが、もう少し時間は短くてもよかったのでは。製作費が50億円以上というが、尺が長すぎたのかもしれないな。

もっとも、月からの使者がサンバのような鳴り物鳴らして降りてくる場面は、なかなか幻想的でよかった。読経や仏事というのは、今や抹香臭くも古めかしいが、平安時代を生きた人々にとっては、きっと外国から渡来した、モダンでサイケデリックな物だったに違いない。

そうそう、あとひとつ思ったのは、あの時代にジェーン・スーがいて、「私たちがプロポーズされないのには、101の理由があってだな」を書き、かぐや姫が読んでたら、月に帰らずとも、「未婚のプロ」として楽しく生きてゆけたのにという事かなあ。← オイコラいったい何の感想だよ(笑)

「悪の法則」を観た
書くのが遅くなったが先週日曜に「悪の法則」を観た。内容にもよく合い、それなりに考えた邦題だとは思うのだが、なんだか邦画に聞こえる題名なんだよなあ。「The Counselor」でよかったと思うが。



砂煙舞うメキシコと南カリフォルニアが舞台。美くしいフィアンセとの結婚を控えたやり手の弁護士は、それなりに危ない社会の人間ともつきあって上手くやってきた人物。彼は資金稼ぎに一度だけ裏稼業の危険なビジネスを「One time deal」で行い、一攫千金を狙うがその取引はトラブルに見舞われ、巨大な麻薬カルテルの闇が動き出すことになってしまう。

「ノーカントリー」のピュリッツァー賞作家コーマック・マッカーシーが書き下ろした脚本をリドリー・スコット監督が映画化。ペネロペ・クルスとキャメロン・ディアスのコンビは「バニラ・スカイ」と同じだ。闇のビジネスで儲けてる役のハビエル・バルデムやブラッド・ピットは、主人公にもっともらしい警告を事前に与えるのだが、麻薬カルテルの虚無的な闇が一旦動き出すと、彼らもまたあっさりと狩られる側に回り、逃げ惑うしかない。

主人公の弁護士役、マイケル・ファスベンダーは、ちょっとしたワルだが巨大な悪に翻弄され恐怖のどん底に落とされる主人公を印象的に演じている。最早何の救いも期待できないどん底で、主人公に届けられるある物。これを観た観客の脳裏には、まことしやかなブラッド・ピットの警告が走馬灯のように蘇るだろう。まさしくクライム・ホラー。大スターが出てるからと、気軽に出かけた観客は、バルデムの度肝を抜いたキャメロン・ディアスのフェラーリ相手の怪演(?)も含め、その毒気に呆気にとられるだろう。しかし細部まで実に印象的な映画。DVD出たら買うなあ。

オープニングからしばらくは大きな事件は何も起こらない。しかし全てのシーンに既に不吉な予感が基調低音のように低く響き渡り、画面のテンションは実に高い。全ての登場人物は、主人公に警告を与えるかのよう。しかしそれは何の助けにもならない。予定調和のように陥った陥穽の不条理。

なぜそうなるかの状況説明は親切になされてるとはいえない。しかしそれが逆に、不条理に主人公達を追い詰める虚無的な闇の力を印象的に成立させている。当たり前のように現れるニセ警官。日常茶飯事のように、トラックの弾痕を補修し、血を洗い流し、死体の入ったドラム缶をウインチで吊り上げる、ごく普通のメキシコ人労働者達が逆に恐怖を倍増させる。そして麻薬カルテルよりも、もっと怖い存在がいるという仕掛けも印象的だ。








「ザ・コール 緊急通報指令室」
日曜日は映画の日。鑑賞料金が1000円に割引。「かぐや姫の物語」を観ようかと思ったのだが、空席状況をWebで確認するとずいぶん混んでいる。興行収入がグングン伸びて、ぐぬぬと嫉妬した宮崎監督が突然監督復帰宣言する日が来たりして(笑)

映画のほうは、「ザ・コール 緊急通報指令室」を。



ハル・ベリー演ずる主人公は、緊急通報「911」を受付して警察や消防に伝達する指令室のオペレーター。自宅の窓を割って不審者が侵入してくると通報してきた少女を助けることができず、心に大きなトラウマを抱えている。そも彼女の勤務中、誘拐され自動車のトランクに押し込められて連れ去られようとしている少女の携帯から緊急通報の電話がかかってくる。

緊急通報用電話番号は、日本では、警察と、消防・救急で分かれてるのだが、Wikiによると、アメリカのように、犯罪も事故も火事も病気もすべて「911」に電話かけることになっている国も。

昔、会社の安全教育で消防署が来て日本での119コールの録音を数秒だけ聞かせてもらったのだが、冷静に住所を問うオペレーターに答えるのは「燃えてる!燃えてる!」と半狂乱にただ叫ぶ女性の声。阿鼻叫喚の地獄とはまさにあのことで、電話取るオペレータのこうむるトラウマは凄まじいだろうなあ。

犯罪の渦中にある少女のパニックを沈め、どうやって誘拐中の車のトランクから救出するか。ハル・ベリーは沈着冷静に少女に行動を指示して、どこを走っているか分からない犯人を追いつめてゆく。この辺りの描写が実に緊張感と疾走感があって素晴らしい。星座や好きな映画を聞いて励まし、もう助からないと諦めかけ母親へのメッセージを残そうとする少女に「You don't have to do that」と励ますなど、密室の心理劇としての脚本がよくできている。

これは傑作だと予感したのだが、しかし、アジトに到着した犯人の身元が割れた時点から、物語の展開は突然にスピードを失い超スローになる。どれくらいかというと、シートベルトをしてないとフロントガラスに頭ぶつけるくらいの急ブレーキ具合(笑)。

それまでのテンション高い疾走感ある心理劇が急に終わり、ここから映画は「あんたそれ、「羊たちの沈黙」ですがな」と言いたくなるようなスピード感のないサイコ・ホラーに。最後まで走り切って終ったほうがよかったと思うが、ラストシーンも含めて人により感想が違うところか。

ただし、主人公ジョーダンのトラウマは解消され、ある意味カタルシスのある衝撃の結末ではあるのだが。

サイコ野郎を演じた俳優はなかなか好演。親切心から寄ってきてエライ目にあってしまう男や、異変に気づいてすぐに警察に通報してくる女性など、ああいった親切なメリケン人というのは確かにいるんだよなあと思ったことだった。


ジブリ鈴木プロデューサーの文春対談が面白い
先週の週刊文春、「阿川佐和子のこの人に会いたい」対談は、ジブリの鈴木俊夫プロデューサー。宮崎駿監督の、先輩である高畑勲監督への愛憎半ばするライバル心を語る部分が面白い。

宮崎が自分の引退会見前に高畑に、「一緒に引退しよう」と誘ったが、高畑は笑って答えなかったこと、しかし宮崎自身の引退も、本気かどうかアヤしいことなどを軽妙に語る。確かに引退会見も「あと10年仕事します」で始まってたし、前回の「プロフェッショナル仕事の流儀特別編」でも、すでに漫画の仕事に打ち込む宮崎は、まだまだあと一旗揚げそうな雰囲気だった。

宮崎には流行作家的なところがあって、意外に騒がれるのが好き。芝居かかった名言吐くという解説も面白い。確かに「プロフェッショナル仕事の流儀」でもそんなところがあった。

「かぐや姫の物語」が「風立ちぬ」の興行収入を抜いたら、宮さんは戻ってくるかもと鈴木は語るが、案外冗談ではないかもしれない。モノを作るというある種の「業」にとりつかれた男は、また気が変わって「やはりオレがやらねば」と思う事だってあるだろう。

それにしても、「風立ちぬ」の興行収入は120億円を超えたが、まだ制作費を回収できず赤字だという発言は驚き。実写映画ではまずスター達が大金のギャラを取るし、エンドロールにあるように撮影には何百人が関係し、しかも大作なら複数の撮影チームが世界各地でロケもやって金のかかったSFX外注もある。

しかし、アニメーション映画の制作費の大部分は、アニメーターが作画してる費用に思える。ジブリは固定給でアニメーター雇用してるというが、せいぜい何十人の規模では。100億以上も制作費を使うほうが大変に思えるのだが、そこがちょっと不思議。

鈴木によれば、制作費はだいたい興行収入で回収していたが、「かぐや姫」では高畑監督がたくさん使ってくれたので、50億円以上も制作費がかさんでいるとのこと。製作期間も広告にある8年ではなく14年だと述べる。

この14年というのは、高畑勲の前監督作品「となりの山田くん」から数えてるように思えるが、14年前から何十人も使って「かぐや姫」のプロジェクト費用が発生している訳ではないだろう。高畑自身が、絵コンテや脚本の構想練ってるだけでは、ほとんど費用は発生してないと考えるのが妥当だと思うのだが。ジブリがどんな原価計算してるのかには興味あるところ。

売上面でいうと、ジブリのDVDは値崩れしておらず、ずいぶん高く売られている。Amazonなどによる旧作のロングテイルの売上も伸びているだろう。

また製作委員会方式を発案したのは鈴木だというが、最初から映画会社やTV会社、広告代理店を仲間に入れておけば、勝手に宣伝してくれる名案というのだから、宣伝費が全部ジブリ負担のはずはない。そういえば、前回行ったシネコンで無料配布していた「かぐや姫の物語」の予告編DVDも、auやパナソニックとのタイアップ広告が入っており、ジブリの負担はほとんどないはず。そして、映画の公開前には、ちゃんとTVが映画劇場で前作を放送して宣伝してくれる。ジブリ全体としては、笑いが止まらないほど儲かってるはずだと思うけどなあ。

まあ、子供に夢を与える会社であり、万一にも脱税で摘発などされないよう、キッチリやってもらいたいもんだが。





「キャリー」を観た
もうずいぶん昔だが、スティーブン・キングに凝って、翻訳されたキングの小説は全て読破した時期がある。しかし、物故した作家ならそれで打ち止めだが、キングは存命でこれまた多作な作家。それからも続々と単行本で新刊が出て、追いつくことができなくなり、結局追うのを断念することに(笑)そういえば、過去に時間旅行してJFK暗殺を止めに行く小説が、最近翻訳されて本屋で平積みになっていた。あれもまだ買っていない。

「キャリー」は、そのキングのデビュー作だが、1976年にブライアン・デ・パルマ監督が映画化。大ヒットしたが、今回またリメイク。公開されたので観に行って来た。



内気な性格と冴えない容姿。性を罪悪視し自分と子を罰し続ける、狂気に取り付かれたキリスト教原理主義の母親に育てられたキャリーは、「変わり者」だと、クラスメイトから常にいじめを受けていた。しかし彼女は自分に、ある特殊な能力があることに気付く。キャリーいじめにより罰を受けたクラスメイトが、逆恨みして卒業祈念プロム・パーティーでキャリーにしかけた罠。絶望の中で狂乱したキャリーは、自分の持つ恐ろしい能力を開放する。

デ・パルマの前作では、シシー・スペイセクが、変わり者でいかにも周りから疎外されそうな役柄を見事に演じていたが、今回キャリーを演じるクロエ・グレース・モレッツは、元々が愛くるしい少女顔で、あまり「いじめられ感」が無いのがちょっと役にそぐわないところか。




前作のプロムでの屈辱の後、狂乱して破壊を始める場面では、シシー・スペイセクの異常さが更に際立って、まさに総毛立つような戦慄を感じたが、今回の破壊シーンはSFXの進化が素晴らしく、またクロエの一種無垢な美しさが血まみれのメイクで壮絶に引き立つ。デーモンがこの世に召喚されてそれに操られているかのような、一種異常だが、狂気じみた分、かえって突き抜けた美しいシーンになっている。

原作には、おそらく作者のキング自身のルサンチマンが投影されている。そしてキャリーを襲う悲惨がひどければひどいほど、最後の凄まじい破壊に、観客は一種背徳的なカタルシスを得るのだが、しかしこのバランスは実に微妙。シシー・スペイセクで破壊シーンがあれ以上パワーアップしたら観客が引いただろう。本作でも、だいぶ前にアメリカでリリースされた予告より、破壊シーンが若干マイルドになっている気がするから、かなりバランスを取った作業が行われたような。そしてそれは成功している。

ただ、サスペンスの盛り上げはなんといっても、前作のデ・パルマのほうが上手い。プロムの最後、ステージの上方にセットされた豚の血が入ったバケツを俯瞰するシーン。デ・パルマは、バケツに上からスポットライトを当て闇の中に輝かせ、風か振動を与えて中の血を波打せて撮影している。本来はありえないショットだが、これこそが画面にテンションを与える「映画の嘘」による演出。

逆に本作の監督は、バケツを引っくり返すシーンで、紐がからまって引っくり返せないシーンを延々とやるが、観客はバケツを引っくり返すのを、早く早くと待ち望んでいる訳ではない。これはサスペンスを盛り上げる上では逆効果の無駄な演出だった。

しかし女性らしく、母親とキャリーの関係の描き方は丹念。キャリーが次第に自分の力に目覚めて行くところも細かい描写が素晴らしい。母親のマーガレット・ホワイトを演じるジュリアン・ムーアも圧巻の演技。原作者キングが他の作品でもトラウマ的に多用する「子供を強権的に支配する、異常な怪物としての母親」を見事に演じている。

この手の映画では、いじめる敵役のほうが演技力が必要で難しい。デ・パルマの前作では、ナンシー・アレンとジョン・トラボルタという、後に同じデ・パルマの「ミッドナイト・クロス」で主役を張るコンビが演じていたのだが、本作の敵役は若干印象が薄いだろうか。

小説も映画も既に有名な作品なので、リメイクするにはかなりの度胸が必要。デ・パルマの前作も参照しながら、考え考え作っているのだと思う。サスペンスを盛り上げる演出にはやや欠けるものの、パーティーの狂乱と凄まじい破壊のカタルシスはよく出来ている。全体のバランスとして、クロエのキャリーも印象的に成立した作品になっていた。

「ダイアナ」を観た


朝から結構な風雨。寝坊した午前中はダラダラ過ごし、午後は映画に。「ダイアナ」を見た。伯爵家に生まれ、19歳で英国皇太子と婚約。全てが約束された将来に見えたが、皇太子には結婚前からドロドロした関係を持ち続けた愛人(現在の妻)カミラ・パーカー・ボウルズがおり、「私達の結婚には3人いた」とダイアナが述べたとおり、結婚生活はほどなく破綻する。

2006年の映画、「クィーン」は、ヘレン・ミレンが英国王室の存続をまず第一に考える女王の苦悩を描いたが、本作は国民的人気がありながら英国王室から追われたダイアナ視点の物語。

ナオミ・ワッツは、「マルホランド・ドライブ」でも感心したが、相変わらず巧みな演技。ただ、作品にはあまり恵まれてないかな。もっとも英国出身だけあって、この作品では言葉の面でも不自由なかったのでは。今でも人々の記憶に残るダイアナの表情をずいぶん研究している。生まれ年ではワッツが年下とはいえ、今やダイアナ妃の没年を10歳近く超えているから、あの輝いていた頃のダイアナを演じるのは若干苦しい面もあり。

ダイアナが真に愛し、共に生きる将来を考え、悩みぶつかっていたのは、事故で共に亡くなったエジプト系の富豪の息子ドディ・アルファードではなく、パキスタン系の心臓外科医であったというストーリーは、一部で報道されたエピソードを元にしている。パパラッチにドディとの豪華ヨットでのバカンスを自らリークして撮影させたのは、最後にこの恋人とのよりを戻そうとしたダイアナの衝動的なあてつけだったという事が描かれるのだが、真相はもはや知るすべもない。

1997年のパリの衝撃的な事故の速報は、シカゴでTV見ている時に知った。しかし、調べてみて、ダイアナ妃はあの頃まだ36歳だったのだとびっくり。そういえば、マリリン・モンローが亡くなったのも36歳だった。

「エリジウム」を観た
「エリジウム」を観た。人口爆発し環境汚染によりスラム化した地球には貧民が住み、金持ちは別世界に住むというのはアンチ・ユートピアSFでは幾度も繰り返される設定。



2154年、砂埃漂うスラム化したLAの描写はなかなか迫真感あり。エンドロール見ると、あれはメキシコのロケか。人間を見下したアンドロイド警官の取締り、全てコンピュータ化され、大阪道頓堀の食い倒れ人形のような安物の人形が判決をアナウンスする簡易裁判所のシーン等、未来世界の描写は妙なリアリティに満ちている。監督は「ディストリクト9」で一躍アカデミー作品賞候補に躍り出た新鋭ニール・ブロムカンプ。

昼間の空にも浮かび上がる人工衛星「エリジウム」や、独特の空気感を持った飛翔体の描写など、SFX映像もなかなか印象的。主役のマット・デイモンは、きちんと存在感あるが、まあまあ普通の出来か。ジョディ・フォスターが悪役というのは割と珍しい。エリジウムのエージェント役、Sharlto Copleyは、異様で個性的な存在感を発揮する悪漢として印象的に成立している。

大リーグボール養成ギブスのようなパワースーツやら、爆発するライフル弾など、細かい所にもSF的なギミックが満載。シネコン・ポイント使ってタダで観たこともあって、不満はなかったなあ(笑)


「ドラゴン・タトゥーの女 [Blu-ray]
昨日は雨降りで部屋でのんびり。購入した後ずっと放置していた、「ドラゴン・タトゥーの女 [Blu-ray]」を観た。



スウェーデンのベストセラー・ミステリーの映画化。主演のダニエル・クレイグは、007の時はマッチョに見えるのだが、本作では割と冴えない中年編集者役。ボンド役演じる時は相当準備して、肉体的にもバルク・アップしてるのだろうか。

題名通り主役とも言える「ドラゴンタトゥーの女」役、ルーニー・マーラーは、悲惨な境遇と現実を踏み越えて強靭に生きる女を演じて、実に印象的に成立している。同じデビッド・フィンチャー監督の「ソーシャル・ネットワーク」で、ザッカーバーグ役を振って、最後まで彼の心に残り続けるガールフレンド、エリカ役もやってたと観た後で知ってびっくり。まあ刺青や鼻ピアスの効果はあるにせよ、変わるもんですなあ。

タイトルバックは、ツェッペリンの音楽と共に、グロテスクで猟奇的な雰囲気をメタリックでソリッドに仕上げており素晴らしい。ちょっと007物の始まりを思わせるところもあり。

スウェーデンの寒々しい、しかし冷たくも美しい風景が印象的。ストーリーとしては猟奇的なミステリーなのだが、探偵謎解き物というのは守備範囲外なので、結末については、「まあ、そうですかと」言うしかない。殺されてたと思われていた少女を巡る謎解きについては、それならば入れ替わった相手はその後どうなってるのかという疑問が残らざるを得ないが、原作は3部作ということなので、ひょっとしてこの一家を巡る忌まわしいお話はこのまま続いて行くのだろうか。これまた本に関してもミステリー系は一切読まないので、まったく知識が無いのであった。

暴力シーンや猟奇的なシーンがあるので映画はR指定だったと思うが、それらのシーンは映画に沈鬱な重みを与えており、印象的に使われている。第二作も製作されるようなので、公開されたら続きも観てみたいなとは思うのだった。

「マン・オブ・スティール」を観た。
「マン・オブ・スティール」を観た。



製作はクリストファー・ノーラン バットマンのダークなリブート・シリーズの製作/監督だが、本作は、「スーパーマン」のリブート。最近はリメイクといわずに、なぜかリブートと言うのだな。結局のところ、新しいコンテンツのネタが尽きてきたので、昔の名作を引っ張り出してもう一度製作したほうが簡単という事に思えるが。

ほとんど予備知識なく観に行ったので、まずスーパーマンのクリプトン星での父親がラッセル・クロウだったことにビックリ。そして、地球での父親役がケヴィン・コスナーだったことにもまたビックリ。そして、地球での母親役がダイアン・レインだった事を最後のエンド・クレジットで知って最後にビックリ。「ストリート・オブ・ファイヤー」の頃からするとずいぶん老けたなあ。デイリー・プラネット社のローレンス・フィッシュバーンや、ロイス・レイン役のエイミー・アダムスなど配役は実に豪華だ。これには感心した。

物語は、スーパーマンが少年の頃に人間社会に適応できず苦悩する姿や、超人的な力を隠せという地球の父親の教えを守るために悩む姿を描くところがなかなか興味深い。地球社会では異端者であったスーパーマンが、スーパーマンとして生きる事を自ら選択してゆくという、スーパーマンの成長と誕生を描く物語。

クリストファー・リーブの昔のシリーズでは、ナイアガラの滝に落ちそうな子供を救ったり、電話ボックスからあのマントで出てきて、走りながらワイヤ・アクションで飛び上がったりのシーンには、あの時にはあれで感心したのだが、しかしSFXが進んだ今では、実にのんびりと牧歌的な作品に見える。

今回のスーパーマンは、史上最速にして最強。飛び上がれば一瞬にして音速の壁を突破して宇宙空間まで数秒で到達する。戦えば、超高層ビルを何棟も破壊してゆく暴れぶり。この破壊が凄まじく、ちょっと引く人もいるのでは。ビルが何十棟も崩壊するあのラストの壮絶な破壊ぶりでは、メトロポリタンで何十万人も死んでて不思議はない。ロイス・レインや、デイリー・プラネット編集局の人間がちゃんと助かったからよかったじゃないかと言われてもなあ。

戦闘シーンのスピード感と迫力は圧巻。確かに凄いが、ずっとあれだけ続くと最後は若干飽きてくる、15分くらい縮めたらよかったんじゃないか。3Dで観たのだが、あまり顕著な効果は感じられない。スーパーマンの飛翔も、ちょっと画面の合成が着いていっていない感もあり。破壊シーンは凄いが。

シリーズ化して続編の製作も決定したというのだが、ストーリーとしてはこの一作だけ独立してカタルシスを与えてほぼ完結している。次作に残るような伏線もあまり気付かなかったが、続編はどんな敵を設定するのだろうか。


「パシフィック・リム」を観た
日曜の朝9時15分からという酔狂な時間に「パシフィック・リム」を観に行った。前日の「スター・トレック」に続いて2日連続3D上映の映画観るというのは、ちょっと眼が疲れるなあ(@ @)



深海から次々に現れる怪獣の攻撃による人類滅亡を防ぐため、人間のパイロットが搭乗した巨大ロボット「イェーガー」が戦うというSF物。日本の怪獣・特撮・アニメ物にインスパイアされた部分あり。ギレルモ・デル・トロ監督は、「パンズ・ラビリンス」も記憶に残るが、本作品でも奇抜なイマジネーションを満載で盛り込んであり、随所で感心した。「スター・トレック」はSFというよりただ「スター・トレック」というしかないが、本作はカタルシスとセンス・オヴ・ワンダーを併せ持ったSFとして実に印象的に成立している。

映画中の怪獣は、英語でも「Kaiju」と呼ばれる。映画のエンド・クレジット最後には、「この映画をモンスターマスター、レイ・ハリーハウゼンと本多猪四郎に捧ぐ」と出るが、本多は「ゴジラ」の監督。デル・トロ監督はメキシコ人だが、子供の頃に「鉄人28号」に大きな影響を受けたと語っており、確かに似たような「イェーガー」が出てくるのだった。

マジンガーZ、ガンダム、エヴァンゲリオン等の影響も勿論あるとは思うが、そもそもモビルスーツは、ハインラインのSF「宇宙の戦士」に出てくるし、エンド・クレジットに出てくるように、ハリウッドSFには、ハリーハウゼンに遡るモンスターの歴史があって、日本の影響が如何ほどかはなかなか評価しがたいところ。

防衛軍の黒人の司令官はIdris Elba。どこかで見たなと思っていたら、「プロメテウス」に出ていたのだった。ハンニバル・チャウ役の俳優、猿顔のロン・パールマンは、デル・トロ監督のお気に入りらしく、ラストまで興味深く登場する。

日本へのオマージュとしては、ヒロイン役を菊地凛子がやっているのが興味深い。

しかし、どうも菊地の演技は感心しない。「バベル」の時は日本人の高校生役であって、いわば「極物」扱いであったからあれでもよかった。今回の役では、英語も感心しないが、何故か日本語の台詞がひどい。中国人の俳優が口伝えで棒読みした日本語のように聞こえる部分さえある。あれは監督が音としての日本語だけを聞いて演出したのだろうか。本人の演技だとすると、とてつもない大根なのだが。台詞以外の演技もずいぶん大げさでヘタだと思うが、それは日本人の目で見たからであって、外国人がアジア系を演出するとああなるのかねえ。実に不思議だ。菊地凛子より上手い女優は日本に幾らでもいると思うが、もっとハリウッド進出したらどうだろう。逆に幼少期を演じた芦田愛菜は、実に印象的な熱演。映画の伏線となるエピソードを見事に演じ切っており、これには感心した。

日本のアニメだと、ヒーローが妙にウジウジしたり、美少女キャラが出てきて、妙なオタク臭があるのだが、本作は、親父との葛藤、兄を亡くしたトラウマ等の男臭い人間ドラマを、単刀直入にヒロイックに解決するところがいかにもアメリカンであり、ハリウッドらしいところ。これはこれで、アニメ好きでなくても万人受けする作品になっている。実に面白かった。

「スター・トレック イントゥ・ダークネス」を観た
「スター・トレック イントゥ・ダークネス」を観てきた。



原作は有名なTVシリーズ。深夜に再放送されてた頃にある程度見た。1980年代に、ウィリアム・シャトナー、レナード・ニモイ主演で映画版シリーズが作成され、これも1~2作見た気がするが、あまり記憶には残っていない。カーク船長ではなく、ハゲの船長のシリーズも確かあったなあ。結構派生したスター・トレック物があるのだが、この辺は興味なくて見たことなし。

今回は、2009年に、カーク船長のオリジナル設定を新配役にしてリスタートした新シリーズの第二作。TVシリーズよりも前の時代を描いているということのようだ。マッコイ、スコッティ、ズールー、ウーラ等のエンタープライズ号艦橋チーム全体もTVシリーズをそのまま継承。

映像はなかなか壮大で迫力あり、実によく出来ている。仲間や家族への愛がサブテーマとして描かれるが、カーク船長とスポックの関係は、オリジナルを踏襲しながら、なかなか印象的。スポック役のザカリー・クイントは、ニモイにも似ているが、それとはまた別の実に奇妙な魅力を持って成立している。

ただ、全般的なストーリーは、割と薄っぺらで安直なご都合主義。もっともこれは(トレッキーには怒られるが)、TVシリーズだった時もそんな程度。映像だけが劇場版として凄まじくスケールアップしたが、物語部分はTVのスケールというか。しかしそれもまたスター・トレック風味なのかもしれない。バットマンやスーパーマンなど、ダークな雰囲気でリメイクされるコンテンツが最近は多いが、スター・トレックが、シリアスでダークに成りすぎてもなあ(笑)

ベネディクト・カンバーバッチ扮する敵役もなかなか印象的。オリジナル・シリーズの設定がこの第二作にも反映されており、連邦政府に対するテロに至った深い経緯もありそうなのだが、その辺りはアッサリ口頭で語られるのみ。あまり深いテーマは感じられないが、トレッキーならまた別の感慨があるのだろう。もっとも分からないなりに一応ストーリーは追える。その点はある程度親切に作ってある印象。

マッコイの皮肉やらスポックとのいがみ合い、スポックが終盤での格闘でおなじみの「神経掴み」をやって敵が「痛てててっ」となるところなど、私程度の知識でもオリジナルを思い出すところあり思わず笑った。ファンならもっとにやりとするオマージュがあちこちにあるのだろうなあ。

劇場は3D吹き替えで観たのだが、iMDBによると、監督のJJエイブラムスは、最初3Dで撮るつもり無くIMAX 2Dで仕上げる予定だったとのこと。興行面での要請から、3D取り入れたというから、まあどうしても3Dで観る必要も無いかもしれない。最初の火山や、漆黒の深宇宙に消えて行くワープシーンはなかなか綺麗だったが。

余談ながら、スター・トレックは、オリジナルのクルー編成にしてから、白人、バルカン人、女性、アフリカン・アメリカン、アジア人、ロシア人と、実にダイバーシティーに富んだメンバー。製作側の理想主義的な意気込みのようなものも感じられる編成。しかし、昔、アメリカのケーブルTVで、ヒスパニック系のスタンダップ・コメディアンが、「なんでスター・トレックのデッキにメキシカンがいないんだ!」と笑いを取ってたのを思い出した。まあ、全ての人を満足させることは、なかなかできませんな(笑)


「ワールド・ウォーZ」を観た。
「ワールド・ウォーZ」を観た。



ブラッド・ピットが主演するゾンビ・パニック物。予告編などで注意深く、ゾンビが出てくる事をボカしているのは、ブラピ目当ての女性客がゾンビが出る映画を忌避するのを気にしたのかもしれない。しかし、それだったら高いギャラ払ってゾンビ物にブラピを主演させる意味がもともと無いよなあ(笑)。もちろん題名の「Z」は、「Zombie」から。

映画冒頭、いったい何が起こっているのか分からない部分のスピード感はなかなかよい。ゾンビのアップや内臓を食い散らすようなスプラッタ場面が非常に少ないのは、やはりブラピは好きだがゾンビは嫌いという女性観客に配慮したんでしょうなあ。

ゾンビ物というのは、元祖のジョージ・ロメロが当って以降、完全にホラー映画の一ジャンルとなって何作も製作されており、全速力で走り回るゾンビというのも既に登場。この点は、あまり目新しくない。

ただ、ストーリーの進行は大変場当たり的で、アラもたくさんあり、世界を飛び回ったブラピが超人的な大活躍して、話はハッピーエンドに。主演にブラピのような大物を持ってくると殺す訳には行かないので、結局ああいう結末にせざるをえないんだなあ。その代わりに割りを食って、早々と退場する者もあり。「最後の希望」とか言ってたインド系のウイルス学者は、いったい何だったんだ(笑)

適当な人間が書いた脚本なのかと思ったら、マックス・ブルックスという人のベストセラー小説が原作だったと後で知ってビックリ。原作の出来はどうだったんだろう。

個人的にはゾンビ物は、アンハッピー・エンドでも構わない気がする。「ゾンビが世界中に広がった、もはや逃れる場所はない」、そんな救いの無いエンディングで映画が終わったとしても、観客は映画館を一歩出たならば、ああ、現実世界は平和でゾンビがいないんだと、映画館の外でカタルシスを得る事ができるから。

もっとも、大ヒットして、「ゾンビ物」というジャンルを確立することとなったジョージ・A・ロメロ監督の名作、「ゾンビ(Dawn of the Dead)」は舞台の選択が独特の効果をあげている。主人公達が逃げ回るのは、アメリカならどの都市にでもある巨大ショッピング・モール。そこを歩く回るゾンビ達は、日常にそこで買い物に歩いているようなアメリカ中産階級。ゾンビから命からがら生き残った生存者は、暗澹とショッピング・モールからヘリで脱出する。しかし、残りの世界も既にゾンビだらけで、おそらく逃げる場所などどこにもない。そんな救いのないラスト。

そして、アメリカのショッピング・モールには、たいてい映画館が併設されている。この「ゾンビ」のラスト・シーンを観た後で、映画館からショッピング・モールに出て来たアメリカの観客は、まさに今、この場所で歩いている周りのアメリカ人がゾンビだったのだと、改めて映画の恐怖を追体験する事になる。現実世界は平和でよかったとカタルシスは得られない。秀逸に考えられた設定。「ゾンビ」観た後でアメリカのショッピング・モール歩いたら、しばらく怖くてエレベータなんか乗れなかっただろうなあ(笑)

「風立ちぬ」を観た
土曜日に「風立ちぬ」を観た。特段アニメ・ファンではないので、今まできちんと観た宮崎駿作品は、「風の谷のナウシカ」、「千と千尋の神隠し」、「もののけ姫」くらい。そうそう、前日のTVで「天空の城ラピュタ」も観たのだった。



宮崎駿自身が投影されていると思しい、零戦設計者の堀越二郎を主人公に据え、堀辰雄の世界から、肺結核を病む深窓の令嬢との悲しくも美しいラブストーリーを織り込み、「魔の山」やモネの絵を思わせる場面など、宮崎駿の個人的趣味嗜好を満載にして合成するとこの作品になる。

空想と現実が交錯する物語は実によく出来ている。作画は丹念で美しい。映画冒頭、少年の日の夢、朝日が一瞬にして大地を走り、飛行機が自在に天空を駆けるシーンで一瞬にして映画に引き込まれた。引きのショットでは、まるで実写かと思える細密な絵も多々あり。

飛行機設計に熱中し、常に「心ここにあらず」という主人公は、菜穂子との最初の出会いのシーケンスで描かれるように、善人ではあるのだが、自らの夢の実現のためには、何を捨てても顧みない、ある種のエゴイストとしても描かれる。ただ、映画の背景になっているのは、富国強兵から戦争へと突き進んで行くまだ貧しかった頃の日本。列強に追いつけ追い越せで技術開発に没頭していた男達は、皆そうだったのかもしれないのだが。

禍々しい戦争の悲惨は、主人公の夢に不気味に暗示されるイメージを除けば、ラストシーンにただ淡々と言葉で語られるのみ。空を飛ぶ零戦は、殺人兵器としてではなく、美しく空を自在に飛ぶ存在として描かれる。映画は主人公の夢と現実を行き来しながら、常に主人公が観た世界のみを描いてゆく。

全編を通じて風が吹いているのも印象的。何よりも高く、早く、そして自由に空を飛ぶ飛行機。美しき天空の夢だけを追い求めた、一風変わった男の情熱は、国の運命も、妻の運命をも突き抜けてただ空へ、風に乗ってその高みに向けて登り詰めてゆく。宮崎駿の、宮崎駿による、宮崎駿の尽きせぬ夢を描いた、宮崎駿のためのアニメムービー。しかし、きちんと大人の観客の鑑賞に耐え、大きな感動を与える力を持って成立している。まあ、小学生が観るにはちょっと厳しいかw

ただ、観客として気になったのは、やはり素人の庵野秀明が担当した主人公の声。声自体は悪くない。全て一本調子の棒読みは、むしろ、浮世離れして常に心ここにあらずという主人公に合ってるとも言える。ただ周りが達者な俳優だけに、肝心な場面での棒読みが周りからガタガタに浮く。

宮崎駿は、いわゆる、声優声優したプロが嫌いで役者や素人を使うと云う。私も洋画の吹替が嫌いなのは、声優の作り声の大仰な語りが演技とは呼べないから。今回も、役者を採用したパートは実に印象的だが、庵野の当てる主役の演技と落差が大きすぎる。あそこまで役者と素人の差が感じられると映画の価値を幾分か毀損してると思うのだが。まあ、生身の演技に拘らないアニメ好きなら、あれでも気にならないのかもしれないが。

エンドロールに流れる歌、松任谷由実「ひこうき雲」もよかった。青空と死のイメージが交錯する実に印象的な歌詞。映画のモチーフにもよく合っている。洋画なら、エンドロール流れたら続々と席を立つ観客が、この日はほとんど最後まで席についていた。そうだ、DVD出たら買わなくては。

「アフター・アース」を観た
「アフター・アース」を観た。



ウィル・スミスが息子のジェイデン・スミスと共演したSF物。環境崩壊により地球を捨て、他の星系で生存競争を続ける人類。訓練任務に向かう宇宙船が事故に遭遇。事故を逃れるため宇宙船は捨て去られた地球の近辺にワープし、地球に緊急着陸するが宇宙船が分解し、兵士ウィル・スミスとその息子だけが生存者に。救難信号を送るためには、別の場所に墜落した宇宙船の後部を目指すことになる。

設定だけはSFなのだが、実際は全編に渡って息子のジェイデン・スミスがジャングルで一人で困難に立ち向かう顛末を映画は追う。ストーリーはご都合主義的で、大きなカタルシスなく、いったい何でこんな設定が必要だったのかと思える平板さ。エンド・クレジット見ると、「Story: Will Smith」とあり、まあそれも原因かもなあ(笑)

ウィル・スミスは大怪我をして動けず、鎮痛剤で朦朧としながらも、息子に遠隔指示を出してそのミッションを見守るという役なのだが、全編を通じてずーっと朦朧としているだけ。ひ弱な息子を一人でミッションに向かわせ、必死に遠隔で息子をサポートしようとする焦燥や希望、歓喜や落胆などの心理の機微はまったく描かれていない。まあ、これはウィル・スミスがもともと大根だから。ずっと同じ表情で、ボーっとしてるだけにしか見えない。微妙な演技による表現は求めるべくもないのだった。

ジェイデン・スミスのほうは、弱虫でヘナチョコですぐにパニックになる若者として描かれるのだが、これでは観客は感情移入ができない。映画最後まで、カタルシスがあまりなかった。

監督は、「シックス・センス」のM・ナイト・シャマラン。しかし、予告編でもオープニングでもまったく名前が出ない。町山智弘がどこかで、アメリカの観客がこの映画のエンド・クレジットで初めて監督の名前を見て、「Fuck! シャマランじゃないか!」と叫んだと書いてたが、最近では監督の名前出すとかえって興行に悪影響与えるような監督になってしまったのか(笑)。

私自身はシャマラン監督だとは知っていて、ひょっとして意外に面白いのではと観たが、ひょっとしなかった(笑) 要するに、ウィル・スミスが息子を売り出すために映画を企画し、たまたまシャマランを雇ったということのようだ。

シャマランは、「シックス・センス」だけの「一発屋」とも呼ばれるが、個人的には、続く「アンブレイカブル」は、まあまあよかった。

しかしその後の、「サイン」が驚愕の凡作。もっとも、主役のギブソンが神への信仰を取り戻すという結末が好感されたか、アメリカでは興行的に成功。アメリカ人は単純だなあ(笑)

「ヴィレッジ」は、興行的にはある程度の成績を残したが、全般的には不評。「レディ・イン・ザ・ウォーター」は大コケ。「ハプニング」も失敗して結局ディズニーとの専属契約を切られ、「やはり一発屋だった」との評価が定着することに。「シックス・センス」は実に印象的だったがなあ。元々ストーリー・テリングよりも細かい凝ったショットが美しい監督だったが、この映画はCGだらけで、絵的に面白いシーンもなし。

映画の役でもそうだが、ウィル・スミスの息子ジェイデンは、実に神経質で弱虫に思える。大スターの息子だから、これから悪い取り巻きが大勢寄ってきて、女や酒やドラッグを教えて、騙して転がして金を毟り取ると思うのだが、本当に乗り切れるか。それを思うと、この映画は父親ウィル・スミスがジェイデンに贈った「強い男になれ」という個人的メッセージなのかもしれない。観客としては、「そんな事、我々関係ありませんがな」というしかないのだが(笑)。

映画は制作費に130億円。今までのアメリカでの回収は58億円程度。まあ制作費回収はちょっと難しいかな。





「エンド・オブ・ホワイトハウス」を観た
「エンド・オブ・ホワイトハウス」を観た。本日から公開。原題「Olympus Has Fallen」は「オリンパス陥落」だが、「オリンパス」が、シークレットサービスが使うホワイトハウスのコードネーム。



予告編観た時は、「ダイ・ハード」の亜流?という印象だったが、これが観てみると実に面白いアクション映画。

大統領夫妻を襲った不慮の事故に際し、大統領を救助するも、その夫人を救ける事ができなかったシークレット・サービス。彼は配置転換となるが、テロリストのホワイトハウス襲撃に際しホワイトハウスに駆けつけ、彼一人だけが建物内で政府側として生き残り、大統領救出のミッションを託されることになる。

大統領夫妻が事故に巻き込まれる冒頭のシークェンスが印象的。短いショットの連続で緊張感溢れる映像。大統領の息子がテロを生き延びる伏線を張るなど、脚本もよく考えられている。謎の航空機がホワイトハウスに接近した際の、シークレット・サービスの機敏な動きも実にリアル。

1996年ペルーの日本大使館選挙事件では600人以上が人質になったが、パーティーにいたアメリカ大使は無事脱出。異変に気付いたシークレットサービスが、瞬時に脱出を決断。大使を守って血路を開いたと言われる。この映画に描かれる退避場面も実に緊迫感があった。そしてその後の目まぐるしく起こる展開もよく考えられており、観客をローラーコースターに乗せて、カタルシスあるラストまで一気に連れて行く。気楽に観れたが面白かった。

大統領代理役のモーガン・フリーマンは職人だから、台本読んでハイハイと現場に来て、与えられた役をキッチリ演じて、約束のお金を貰って帰ったと、ま、そんな印象か。あれ、これは前にも書いたな、と思ったら、先週の「オブリビオン」に続いて、モーガン・フリーマンの出た映画を2週連続で観たことになったのだった。

主演のGerard Butlerは、今まであまり見た記憶ないが、よい役だった。大統領を演じたAaron Eckhart は、何かの映画で見たと思ったらSF映画「Battle Los Angeles」の軍曹だったし、バットマンのHarvey Dent役だったのか。言われてみればその通り。今や大統領まで出世したか(笑)

劇場の予告編で、8月公開の「ホワイトハウス・ダウン」という別の映画が流れたのだが、ローランド・エメリッヒ監督のこの映画も、ホワイトハウスがテロリストに襲撃されるという、「エンド・オブ・ホワイトハウス」とそっくりな導入。あれ、今見てる映画は何だったのかと、館内に若干のざわめきが。こんなに似た設定の映画が、同じシーズンに封切られるのも珍しいのでは。まあ、「宇宙人が攻めてくる」なんていうプロットは、SF映画では毎年繰り返されているのだけどねえ(笑)

「オブリビオン」を観た
「オブリビオン」を見た。



トム・クルーズ、モーガン・フリーマンと並んだキャスト見ると、ギャラにはだいぶ使っただろうなと思わせる。そして全編に渡り映像が素晴らしく綺麗で、こちらにも手がかかっている。

エイリアンの侵略を受け壊滅した地球。夜空には崩壊した月が浮かび、廃墟と化したNYはいくつかのモニュメントが砂漠に残るのみ。この背景がなかなかリアル。

「ドローン」と呼ばれる飛翔戦闘ポッドや、トム・クルーズが操縦する小型飛行体、パートナーと住む全面ガラス貼りの基地、コントロール・パネル等のハイテク・デザインも美しい。細かなデザインが優れており、これにも相当予算つぎ込んだのでは。

映画冒頭に呈示される世界観は、ちょっと変わっており興味深いものの、いったいどうやって面白くなるのかが若干疑問に思えるところ。しかし映画は中盤以降に大きな展開を見せ、この転換が映画の見せどころとなる。題名の「Oblivion」とは「忘却」という意味だが、これも重要なキーワードに。

しかし、この大転換までが意外に長く感じる。トム・クルーズ演じる主人公の、「自分はいったい誰なのか」という自我に対する疑念やフラッシュバックする自己の記憶の欠落に対する恐怖が、フィリップ・K・ディック風に演出されていると、後半部分がもっとカタルシスを持って腑に落ちたはず。しかし、後半の展開を知らずに見ると、前半ではトム・クルーズが、単に衝動的に暴れているだけのように思えてしまう面あり。

それでもストーリーは細部まで作り込んであり、最後まで見ると得心がゆく。映像の美しさと相まって実に印象的な仕上がり。空中を飛来する「鬼ダルマ」のような「ドローン」という戦闘ポッドは実に気に入ったが、あれはやはりデザイナーが日本のダルマを見て思いついたんでは(笑)

モーガン・フリーマンは職人だから、台本読んでハイハイと現場に来て、与えられた役をキッチリ演じて、約束のお金を貰って帰ったと、ま、そんな印象か。

映画のラストにこれまた印象的に出てくる、世界壊滅を生き延びた絵が、アメリカ画家、Andrew Wyethが描いた「Christina's World」。アメリカ絵画を代表する一種のアイコンとして使われている。この絵は、ニューヨーク近代美術館(MoMA)に展示されており、以前にオリジナルを見たことがある。 展示室に入って対面した時の、あの、胸を突かれるような感覚は今でも覚えているなあ。

Wikiによると、この絵は、A.C.クラークの小説版「2001: A Space Odyssey 」にも登場するのだとか。デビッド・ボーマンがスターゲイトを通過した後で現れる白い部屋に掛けてあるという記述。キューブリックの映画には出てこなかったと記憶するが、小説版にそんな場面があったとは。